ゴースト×ゴースト小説、奇跡のドール Ⅶ

部屋の中には、綺麗に彩られた本が数多く置かれていた。
カラフルな目に悪そうな色の表紙から、思わず眠たくなってしまいそうな優しい配色のものまである。
それ故全てがベリーの旦那さんが描いたものではないのだと、すぐに分かった。
これだけ上手く描ければ絵というのも楽しいのだろうなぁ、とぼんやり思いながら自分の描いた絵と重ねてしまって、少しの劣等感に襲われた。

そんな私を他所に、リリアは部屋中歩き回って次々絵本を手に取っていた。
彼女の様々な姿を目にする度に可愛いなぁなんて浮かれてしまうのは良くないことなのだろうか。
でも、神様なんて、そんなものか。

「あんまり多くはあげられないんだけど、一冊や二冊なら貰って行って」
ベリーがそう言うと、リリアは嬉しい〜、なんて遠慮の欠片もなく言った。
でもベリーも嫌そうな顔しないしいいか。

さて、私は何をしよう。
絵本…別に興味がない訳ではないけど、興味があるかと言ったらそうでもないというくらいで。
子供が好んで読むものということで、あんまり真面目になって読むとまたベリーに何か言われそうだ。
リリアは確かに子供ではないかもしれないが女の子というのはどうにも得で、基本的に何をしても可愛いの一言で済まされるのだ。
だか私はそう言うわけにもいかない。

あー…どうしようか…。

私が腕を組んで悩んでいると、聞き慣れた声に呼ばれて振り返った。
「エグゼリアルー!来て来て!」
私を呼んだのはリリアだった。その細い手を大きく振っている。
そんなに精一杯にならなくても見えているのに。
「どうしたの?」
そう聞きながら私が近付くと、彼女が手にしていた本を覗き込んだ。

「これは何の話?」
彼女の手に隠れてよく見えなかったので、私はリリアにそう問う。
その直後、リリアは「分かんない」と、そう言った。だから私が「見せて」と頼むと、表紙を此方に向けて見せてくれる。
「…天使と悪魔?」
その種族は、私達と同じように存在するかも怪しい生き物だった。
天界に住むとか地獄に住むとか、そんな不確かな情報の中でしか生きていない動物だ。
リリアがその絵本を開いて読み始めたので、私も隣からそれを覗き見ることにした。

絵本と言うだけあって丁寧に、そして綺麗に世界が描かれていて少し感心してしまう。
その世界だけの命。この天界も悪魔も、この中でしか生きていないのに。

どうやら二人は親密な関係で、種族という壁に悩まされているようだった。
絵本の割には少し難解な心の葛藤と、台詞の繊細さがある作品だ。
読み進める内に二人は数々の災難に見舞われて、それでも共に歩もうとする。

…しかしそれも数ページで終わった。

絵本は全てハッピーエンド、なんて自分で決め付けていたものだから少し驚いた。
これは完全にバッドエンドだなぁ、なんて少し暗い気分になりながらリリアに視線を向けると、案の定泣いている。
あまりに優しすぎる。私もこんな慈愛に満ちた存在になれれば…。

「…リリア…、その…他の、読む?」
閉じた絵本に溢れる涙が、裏表紙のイラストに彩られている。
私は困ってしまったが、その内にベリーもリリアに声を掛けた。
「その話…ちょっと暗いよね。リリアさん、楽しい絵本もあるよ?」
ベリーは優しくリリアに声を掛ける。
それでも尚、暫く裏表紙を見つめながら泣いていたリリアは、その内に小さく横に首を振った。
それには私も少し驚いてしまう。

「…いいの。リリア、この絵本貰ってもいい…?」
控えめに聞いたリリアの声は、未だに少し震えている様子だった。
しかしベリーは驚いた後にニッコリと笑って「勿論」と応えていた。

「ありがとう、ベリー」
ようやく笑ったリリアが私の方を見て頷くと、来た時と同じように手を繋いで来る。
「ベリー、リリアまた来るからね。今日はさよならだよ」
「絵本ありがとう、大切にするね」
リリアの片手に大事に抱えられた絵本をちらりと見ながら、私はベリーに礼を言った。

なんだか妙にリリアが焦っているような感じだったから簡潔に挨拶を済ませようと、短い言葉で店を出てきてしまう。
「どうかしたの、リリア?」
帰り道、そう聞いても「何にもないの」としか答えないので、少し心配だったけど、無理矢理聞き出すのも気が引けたので、そう、とだけ返して会話を終える。

その後は半ば私が引き摺られるように、リリアの住む家まで帰った。


家に入ると、リリアはさっさと作業部屋の椅子に座って絵本を読み始めたのだ。
今までにないような真剣な表情で絵本を見つめるので、一体何を考えているのだろう、なんて思ってしまう。

帰ろうか、どうしようかと悩んでいると彼女から声が飛んだ。
「ねえエグゼリアル」
「なんだい」
「…この天使と悪魔は、寂しかったと思う?」
絵本を開いて、同じページを見つめたまま、リリアはそう私に尋ねた。

ああ…、私達にも、あの天使と悪魔のように、別れが存在するのか。
「…きっと凄く寂しかったよ、もう会うことも許されないんだから」
私達が、いや、リリアが、この世から失われる日は必ず来る。私達は、種族が違う。
彼女との永遠は、無いんだ……。

そう思うと、急に悲しくなってしまって、いけないなぁ、と思った。

「…そうだよね」
ぽつりと、そんな音がしたかのように、リリアの言葉は響いた。
リリアは、今日目を見て話をしない。前は、それが何故分からなかったけど、今ははっきりと分かる。
私でさえ、今はリリアに掛ける言葉が全く出て来なくて、少し焦ってしまう。

でも、そんな中、口を動かしたのはリリアだった。
「…ベリーには赤ちゃんが出来るの?」
唐突に話が変わったものだから、つい、間を作ってしまったが、私は冷静になって、答えを探した。
「…そうだね。」
簡単なことしか言えなくて、私もダメになってるなんて感じながらリリアの反応を伺う。
そうなんだ、と、短く言ったリリアの表情がよく見えなくて、一体何の為の質問だったのかもよく分からなかったのだけど。

しかし直後、彼女は振り返って元気そうに笑ったのだ。
いつもと同じ、綺麗な顔で、私を見て。
「ねえねえ、今日も一緒に居てくれる?」
嬉しそうな、もう決められているような顔をされて、私は断れる筈もなく、いいよ、と言った。
リリアはありがとう、と感謝の言葉を言って立ち上がると、私の手を取った。

「リリア達はこうしてるだけで幸せだよね」

白く透き通るような、余りにも儚く小さな手が私を包む。
ああ、彼女は何故、私に恋をしたのだろう。

それを運命だと、そう言ってしまえば軽いものだ。
しかし、私と、私に関わるもの達は一言にそうは言えない。
奇跡は存在する。この子が、私に恋をする奇跡も。

「……もしも、私と結婚出来るなら、君は私を選んだ?」

馬鹿な質問だと思った。彼女がその選択をするのに、どれだけ時間を掛けるか、分かっているのに。
しかしリリアは、迷わなかった。

「エグゼリアルがいいなら、リリアはエグゼリアルを選ぶよ。だって苦しむのはリリアじゃない。エグゼリアルが今のリリアと同じくらいリリアのことが好きなら…苦しむのはエグゼリアルだから。」

彼女は私を見なかった。長い睫毛が下を向いて動かない。
…私も、リリアが言ったことには当然気付いていたわけだけど。

勿論、彼女と同じ存在だったとしても、私が彼女より先に死ぬような馬鹿なことはしない。
彼女を最期まで見ていてあげたいから。リリアは寂しがり屋だから。
…でもね、そうは言えど、本当に彼女を失ったとき、私が平気かどうかなんて分からないんだ。

大切な物を失うなんてことに、余りにも経験がなくて。

「…そうか。」

私は君を選ぶよ、と、言葉は口から出て来なかった。
ここで言う言葉が、私たちより先に居なくなる彼女にどう響くか分からなかったからだ。

時とは、如何に残酷なものだろう。

…部屋の静寂が私たちを白く包んだ。