ゴースト×ゴースト小説、No.1

麻酔に堕ちるこの感覚を、誰かが幸福と言った。
又、俺はそれを信じていた。

人間は人間をつくり変えて、新しい人間を造った。
俺は間違いなく此処に居るのに、俺を【改造】したと言った。
...何も変わっていないのに。

俺は外を知らなかった。無機質な音を数える青のような緑のような俺の世界は、冷たく重い。
自分が誰かも分からないような、世界。

「俺は人間なの?」
空っぽに真っ白に、塗り替えられてしまった脳に反響するのは、あまりにシンプルで、暴力的な音。

『国でNo.1の兵器だ』

俺は外に出た。でも、俺は此処に居る誰とも違うらしかった。
人は珍しい目で俺を見て、何かを囁いては波打つように入れ替わる。

人間と兵器は違う。

その意味を理解したのは、この瞬間だった。

俺はね、人間によって人間ではなくなった人間なんだ。兵器はね、戦うんだよ。何れ現れる神と。国の為に命を捨てるの。

『折角壊れるならば、壊れる瞬間まで使わなければ勿体無い』

骨の折れる音を知っている。銃に撃ち抜かれる音を知っている。埋め込まれた何かが壊れる音を知っている。

自由のない、ただ都合の積み重なった四角の中で、何かが出来るようになるまで、血を流した記憶のこと。

薬の匂いは単調で、複雑さのない、この世界と同じだ。
この匂いが、この痛みが無くなれば、また繰り返す日常。

泣き叫ぶ時間も勿体無い。嘆き悲しむ体力も惜しい。
誰も理解してくれない。誰も助けてくれない。誰も此処には来てくれない。
誰もが兵器を嫌ってる。誰もが俺を利用したがってる。

必要とされるのに、嫌われる。

俺はNo.1なのに、どうして好きになってくれないの。

俺だって嫌いだ。俺を認めてくれない存在なんて。
都合のいい時だけ俺が大事なんて嘘吐いて。
痛いって動けなくても、聞いてる振りして無視したくせに。
苦しいって叫んでも、嘘で宥めて睨んだくせに。

人間なんてみんなそうだ。心なんて何処にもない。
信じても返ってこない。俺を信じてなんてくれない。

もう見ないで、見せ物じゃない。
戦う為に生まれてきたわけじゃない。
血を流すために生まれてきたわけじゃない。

でも、何のために生まれてきたのか分からないから。

......生まれてきたのは、間違いだったかな。

麻酔の毒は、俺の思考まで犯しているようだった。

ゴースト×ゴースト小説、幸福理論

「君は頭が悪いからね、此処にしか居場所はない。」
そう言われた日の事を、今日まで鮮明に覚えている。こういう嫌な記憶は消してくれないのに、俺の記憶は、この言葉から始まっている。
俺に過去の記憶はない。消されてしまった。過去に縋ることが出来なくなると、人は弱くなる。弱くなった俺を、縋るものが欲しかった俺を、この組織はいとも簡単に利用した。
弱い子供は皆居場所が欲しい。必要とされる場所が欲しい。どんなに自分に価値がないとわかっても、それを求める行為は止まらない。


「俺にも世界の役に立てますか。」
勿論、という返答が魔法だった。眠って目を覚ますと、俺の腕は痛みを感じなかった。

「俺はこの世界で必要とされますか。」
勿論、という返答が魔法だった。眠って目を覚ますと、俺の目は世界の果てまで見渡せた。

「俺はこの世界を守れますか。」
勿論、という返答が魔法だった。眠って目を覚ますと、俺の足はずっと早い走りを実現した。

「俺はこの世界で絶対的な存在になれますか。」
勿論、という返答が魔法だった。眠って目を覚ますと、俺は世界から『兵器』と呼ばれていた。

後戻りが出来る限度と言うのは、駆け抜けている最中はよく分からない。振り返る事で気付き、その時には超えている。
立ち止まる事の出来ない迷路は出口がなく、永遠に彷徨う約束を交わされる。

「No.1、俺はNo.1だ。」
成功したNo.1。兵器になれたNo.1。屍の頂点に立つNo.1だ。
No.1であっても嬉しくない。明日には魔法をかけられて、明後日には誰かを殺める。
俺の体は俺のものじゃないらしいので、諦めている。だけど、いつかあの空を飛ぶ夢を見てる。
迷路は壁が高くて、抜けられないから、いつか羽を伸ばしてそれを越える夢を。

「頭が悪いと空も飛べないかな。」
この世界では、数字と数字が足せないと、兵器にされるらしくて。
「1+1ってなんで2なんだろう。」
数字はよく分からない。この問題が俺を兵器にしたのだけど。
「まあ...生きてれば分かるかもしれないよな。」
迷路の中にだって答えはあるよ。
魔法で急にわかったりするかもしれないし。

怖い魔法も、絶対に意味がある。今はここにしか居場所がなくても、きっともっと広くて大きな場所へ行けるようにしてくれるんだ。
そんなの幸せ以外になんて表現するんだろう。

俺は幸せ者だな。迷路の中は幸せだらけだ。

新しい魔法は、少しあとが痛かったけど。

新しい魔法は、少し息が苦しかったけど。

新しい魔法は、少し血が止まらなかったけど。


俺は、今日も幸せだ。

ゴースト×ゴースト小説、願いの手

「反抗期なんですよ」
事あるごとに、そう言われる。
人を治す度に、人を助ける度に、俺が反発をして、舌打ちをすると、親もそれ以外のヤツもみんなそう言う。
...別に生まれてからずっとそうだよ。親とまともに喋ったことなんて無い。誰かを助ける予定を勝手に立てられて、それを伝えられるだけ。頷いた事もない。...横に振ったことも無い。

ありがとう、その言葉を嬉しく思った事がなかった。それを言うヤツらは全員、俺の自由を犠牲に救われている。
ただの名前に、理想を込められて、抑圧されて、雁字搦めにされた俺に、無理を言って。
この世界の全員、俺を愛してるんじゃないさ。この手が大好きなんだ。なんだって治る、なんだって戻る。全て理想通り、思い通り。

...なんだよ、ちょっとくらい気にしてくれたっていいじゃん。
一回も、どういたしましてって返した事ないんだし。
誰か一人くらい、気に掛けてくれたって...いいじゃん。

みんな助かった事に頭がいっぱいでさ、幸福を見せつけられたら幸福になれる訳じゃないのに。
機嫌悪くしてたら反抗期、親なんて大した事ない。勝手な名前付けて、俺の生きる道を勝手に決めただけだ。

患者に触れて、今、この瞬間...ちょっとやる事を変えたらさ、俺の人生も変わるんだよ。
もう俺の事、信じる人も減るんだろうし。...でもいざ命の危機になったら、どんな危ないヤツでも頼るのかな。

なんで死にたくないんだ。神様の所へ行けるのに。みんな神様の所へ行ったら、俺の仕事もなくなって、みんな幸せになれるのに。
みんな一緒に死んだら、みんな一緒になれるのに。

ああ、でも...逆らえない。あいつら、どうせ俺の評価を下げて世の中に広めて、俺の自由をもっと奪う。
俺の手を奪う。俺の腕を切り落として、俺を救世主だった存在にする。
ダメだ、俺はもっとこの手でやりたい事がある。この手で俺の世界を変えて、この手を俺だけのものにする。
いつか...いつか、絶対に見返す。世界中が俺に与えた理不尽を、絶対に許さない。
俺がこのまま死んで神の所へ行くなんてダサい事は出来ない。
人の死をこの目で見るまでは、この世界を去る訳にはいかない。

だからそれまで何度でも言おう。

「...症状は何ですか。この手で何でも治してみせましょう。......この、メサイアの名に懸けて。」

それまで、どれだけでも叶えよう。

...そう、それまでだ。

ゴースト×ゴースト小説、奇跡のドール Ⅹ

いつもなら一瞬で終わってしまう一日を有り得ないくらいに長く感じながら、私は彼女と出来る限りの会話をした。
終わりが分かってしまえば、後はそれに合わせるだけだ。終わるまでを精一杯に生きるだけで。
だから、彼女は今日終わるなんて信じられないくらいに笑っている。

いつもと同じ会話だった。だからって、いつもと同じ明日は来ない。
甘いキャンディの話も、香る花の話も、笑う人々の話も、こんなに変わらないのに。

もうすぐ夜が来るのに。もうすぐ、星が降るのに。


外が薄暗くなって、今朝登った太陽がもう西へ落ちかけて。
リリアの声が静かになっていくのを感じた。私は何か言おうと、話を続けた。

「...もう、夜が来るね。」
「そうね。でも、リリア悲しくないわ。」
その瞳を合わせてはくれなかった。彼女は嘘を吐いている。少し切なそうに、窓の外を見つめていた。
私もそれにつられて視線を外へ投げる。
急に胸が締め付けられるように痛んだ。こんなに人との別れが悲しくて、自分は本当に神なのかと疑った。元はと言えば干渉した自分が悪い。それで尚、それは最高の選択だった。

「君に出会えて良かった、リリア。」
そう言うと、リリアは此方を向いて笑った。
「リリアもだよ。...エグゼリアルは本当にすごい神様だね。こんなリリアを、こんなに幸せにしちゃうなんて。」
語尾がだんだん弱々しくなるのを、黙って聞いていた。

沈黙が続いた。沈んでいく気持ちに比例して、その内に部屋は真っ暗になってお互いの顔もよく見えなくなってしまった。


「...リリア、おいで。」
日が沈んだのだから、星が明るいのだから、別れの時だ。
私は彼女の手を引く訳でもなく、一言だけ放って玄関へ歩いた。

リリアも少し怯えたのかもしれない。少し遅れて歩き出した。...人形達を持って。
もう二人でこの煉瓦の家で過ごす事もない。

私はどうにも苦しくて、扉を開ける手が震えた。
神なのに、涙が溢れそうだった。勇気が出ないし、この別れを奇跡でどうにかしようなんて考えも私の中にはあった。
そんな臆病でどうしようもない自分を振り切って、扉を開けた。
敷き詰められた花達を踏んで、散らして、舞わせる。

ああ、この花たちも見ている。私はするべき事をしなければ。

私は深く息をして、振り返る事もせず、静かな花畑に声を響かせた。

「...見ててね。奇跡を起こすよ、リリア。」

リリアがどんな顔をしているかも分からない。でも私は意識を集中させて、世界を揺るがす程の奇跡を生み出す為に姿を変えた。
悪魔のような羽を広げて、神の気を滾らせて。
例え、この恐ろしい姿で嫌われても仕方ないだろう。彼女の願いを叶える為だ。

空に手を向けて、願う。私が願えば、どんな事であろうと叶う。
それが、禁忌でも。

『...私は、リリアの願いを叶える』

その願いに、空は呼応して、星が強く輝き、リリアの驚く声が聞こえる。

「エグゼリアル!!」
今までに聞いた事の無いくらい大きな声で呼ばれた。でも、こんな恐ろしい姿で振り返る訳には...。

そう思った瞬間、

「...エグゼリアルは永遠にリリアの、リリアだけの神様だわっ!」

その言葉と共に、強く後ろから抱き締められた。
流石に驚いて、振り向いて彼女を見てしまう。左手には二人の人形を抱えて、右手には.....

「...リリア...」
その右手にあった帽子を、私に被せた。

「...悪魔みたいだって良い!リリアは天使も悪魔も大好きなの!エグゼリアルが悪魔なら私は天使になるわ...、そして別れが来ても.....。」

「...この子達が星になることを望んだ意味がやっと分かった。...リリア、例え消えてもエグゼリアルと一緒に居たいわ!...エグゼリアルが生きるなら、リリアは永遠に...エグゼリアルの傍に居たい...!!」

人形達に魂が集まる代わりに、リリアからは魂が抜けてゆく。
その輝きが眩しくて、しかしそれでも決して目を閉じる事は無かった。目を開けて、彼女を焼き付けていた。

そして、この姿で彼女と向き合い、彼女と額を合わせた。
いつか此処で出会った事を思い出して、思いを馳せて.....そして今日別れる事を。

「...エグゼリアル、あなたは永遠にリリアだけの神様よ。リリアを忘れないでね、ずっとずっと...どんな時も.....。」
「忘れないよ、リリア。...君は私の...、私だけの女神です。...君の事を何千...何億という時が経っても、...いつまでも愛してる。」

リリアの頬は涙で濡れていて、それでも尚笑顔でいるリリアが儚く、そして美しかった。
私も気付かぬうちに、泣いていたようだ。恐らく、初めて。

リリアと同じ感情を抱けていることが嬉しかった。同じ涙に濡れている事が、嬉しかった。

そして二人分の涙が、二人分の感情を混ぜ合って、天使と悪魔の上へと落ちた。

その瞬間に眩い光が、私達を包んで。
その光の中に、リリアの今までで一番の、綺麗な笑顔が見えたような気がした。

『......幸せをありがとう、エグゼリアル。』





...次に視界が開けた時には、もうリリアは人形へと戻っていて、自分の姿も元に戻っていた。
涙を一度拭うと、もうそれ以上は出てこなくて、なんだか笑ってしまった。
リリアの人形を持ち上げてその顔を見ると、赤く縫い付けれた口がニコニコと笑っている。
「...人形に戻っても可愛いね、リリアは。」
そう呟いて笑うと、リリアも笑い返してくれたような気がして、少しだけ寂しくなった。

そして夜であることも忘れて思い出に浸っていると、足元から急に女の子の声がした。
「.....暗いの〜...」
私の足にしがみついて見上げているのは金髪の幼い少女で、少し困ったような顔をしている。
「あ〜...暗いね、...確かに。」
驚いて大した事が言えず笑うだけの私に、後ろからもう一人の声が聞こえた。
「全く...何も見えんぞ。」
こちらは少年のようで、眼鏡に触れてブツブツと文句を言っている。

「ちゃんと奇跡は起きたね...リリア。」
私が小声でそう言うと、幼い二人は首を傾げた。その様子に私は何でもないよ、と笑って、それからまた人形のリリアに笑いかけた。

「えっと...、名前...は.....。」
あの絵本に書いてあるかもしれないと思い、私があの思い出深い家の中へ向かうと、二人も後ろをついてきた。
もう既にこの家の匂いが懐かしくて、立ち止まりそうになってしまうが、何とか歩みを止めずにリリアが作業をしていた部屋へ入って、机の上にあった絵本を開く。

「...悪魔がディセリオン...で、天使がエミュー.....」
振り返ると着いてきていた二人が不思議そうに見上げてくるので、取り敢えず名前を確認することにした。
「君はディセリオン?」
「当たり前だろう、そんな事も知らないのか。」
「で、エミューだね」
「そうなの!」
しっかりとリリアが名前の事も願ってくれていたようで、二人共自分で理解していた。

なんだか嬉しくなってまた笑ってしまう。彼女との子供かぁ...私達にも普通とは違うけど、家族が出来たんだな。
「私はエグゼリアルです。」
それを聞くとエミューはまた首を傾げて、唸った。
「...エグゼ...リ.....?」
「あは、エグゼでいいよ。長くて面倒だし君達のことも、ディーとミューって呼ぶから。」
そう二人に言い聞かせると、二人共案外気に入ったようで納得したように頷いていた。

そして、忘れてはいけないと思い、私は二人にリリアの人形を見せる。
「で、リリアは君達のお母さんだよ。覚えておいてね。」
それを聞くと、ディーもミューも目を丸くしてリリアの人形を見つめる。
可笑しい、と笑うかもしれないとは思ったが、二人は真剣な眼差しでリリアの事を見ていた。
正直驚いたが、作ってもらったと言うのは想像以上に大きな繋がりなのかもしれない。
もしかしたらリリアが何か語りかけてるのかも、なんて思ってしまう。

そう考えて微笑ましく見ていると、突然ミューがリリアの人形を私から奪って笑い出した。
「ミューのお母さん!ミューが大事にするの〜!」
ミューはリリアを大事に抱えて部屋を元気に走り回る。なんだか少しリリアに似てるなぁなんて思いながら、私は、リリアが大事にしてくれていた私を象った人形に手をかけた。
「...天界に持って帰ろう、リリアが居た証だ。」
そう呟いて、絵本と共に持ち上げる。すると、ディーがすぐさま私の人形を私の手からひったくった。

「あれが母親と言うならお前は父親なのだろう。仕方ない、我が大切にしてやる。」
ディーがそう笑って、人形の片腕を持ってその手からぶら下げた。

ミューに比べ、ディーはどうも素直じゃないようで、本当に真逆の天使と悪魔が私達の子供になってしまった。
リリアが私に遺したものは本当に大きく、大切で、愛しかった。

「...これは悲しみより、幸せが勝ってしまうな〜。」
私は外に出ようとする子供たち二人の背中を見つめて、少し声を漏らして笑った。

二人を遣いだと言えば、きっと誰も怒らないだろう。

...今回起こした奇跡が、とてもバレてないとは思えないけど...。


私は思い出深い、煉瓦の家を後にした。

それは永遠を感じるほど永く、花が枯れるように儚い、奇跡とドールの恋だった。

ゴースト×ゴースト小説、奇跡のドール Ⅸ

時が流れるのはとんでもなく早かった。
ベリーの子供が大きくなるのも、ベリーが...死ぬのも。
何度も人間が死ぬところは見てきたが、彼女が死ぬのはなんだかとても惜しかった。
リリアが隣で大泣きするものだからそれは尚更で、此方まで恐ろしく辛かった。
ただ彼女が死んだ日はよく晴れた日で、ベリーも安らかに眠れたに違いない。彼女は晴天が好きだった。

ああ、もうそんなに時が経っただろうか。私はどうすればいいだろう。
ベリーの眠る顔に視線を落としながら、縋るように考え始めた。

これからリリアもいつか死ぬ。分かっていることだ。向き合うのが辛いだけで。
私は世界の汚いところも綺麗なところもよく知っているから、考えるのだ。

私が彼女の延命を望んだなら、それはいつか神話に変わるだろう。
私達の関係もあの絵本のように誰かを泣かせるような伝説になるだろうか。


そしてまた何十年の時は過ぎ去り、また新たに生まれる命と朽ちる命がある。
リリアはそんな時が過ぎても決して心を汚すことなく、その新たな生命を慈しんだ。

…君は私より遥かに立派な神になれるのに。



そして幾百の時は流れる。私とリリアの生と死を無視したまま。
出会って数十年の時は永かったのに。どうして、こう当たり前になると時はこんなにも早く過ぎるのだろう。

私は彼女に問いかけた。
「どうして君は命を慈しむことができるの?」
すると彼女は簡単に応えた。
「命が生まれるからよ」
針が布を刺すのを、黙って見ていた。彼女の表情は慈愛に満ちた女神のようだった。
彼女にとって簡単な答えは、私にとっては酷く難解で、それはリリアにしか導くことが出来ない答えであるとも思った。
私は彼女が果てても、新たな命を慈しむことが出来るだろうか。
彼女の転生を、喜ぶことが出来るだろうか。


……私は長いこと、くよくよして、悩みに悩んで、迷い続けた。
彼女がもう、直ぐに居なくなるのに。

ああ、嫌だ。私は君のように、最後まで笑うことが出来ないかもしれない。
私は、貴女の笑う顔を、笑って見ていてあげることが出来ないかもしれない。

庭に咲く花は、出会った日と同じように美しく咲き誇る。
ここに建つ煉瓦の家は、初めと同じように、君を守っているのに。
何故、どうして君は、初めの日と同じように、永遠に私の隣には居られないんだ。

君は何故、そんなに綺麗に、笑っていられるんだ…?


私が本当のことを言うことも、彼女の死に触れることもないまま、また何日も過ぎてしまった。




しかし、その日、彼女は出会った日と同じ、花畑の真ん中に私に背を向けて、座っていたのだ。

「リリア…」
私よりが声を掛けるのと同時、彼女は立ち上がった。
僅かな花弁が宙を舞い、ぼんやりと全てが始まった日を思い出した。

…君は此処で、嬉しそうに走っていたね。今と同じ姿で。

朝日に重なる彼女の後ろ姿に、何度も瞬きをして、目を細めた。
あまりに君は眩しすぎる。初めから、君は私の手に届く距離には居なかった。

そして彼女は私に横顔を向けて、ゆっくりと、優しく、その唇を動かした。
静かに息を吸うのを、私は、ただ固まって眺めて。

「最後、かな。」

強く目が見開かれるのを、見ていた。彼女の声が私の鼓膜を揺らすのを、感じていた。
感じていながら、意味を、理解せずに居た。

「…絵本の最後の最後、エグゼリアルは読んだ?」
リリアは、その場から動くこともせず、私にそう問いかけた。
私が静かに首を横に振ると、リリアは微笑んで続ける。

「…二人は星になったの。二人の魂は種族も世界も超えて、輝くことを望んだんだよ。もう二度と逢えなくても、二人は同じ存在であることを望んだの。」

「…でもリリアはね、それを…受け止められない。リリアは、エグゼリアルと星になっても、嬉しくないよ。リリアが居なくなっても…!エグゼリアルには…リリアの永遠の神様でいてほしいから。」

「…だから最期の我儘を、言うよ。」

リリアは、花畑の中に沈んで、何かを持ち上げた。

「……この子達に、命を恵んで。」

リリアが手にしていたのは、帽子の中に収まった、金髪の天使と、茶髪の悪魔の人形だった。
間違いなく、あの絵本の中の天使と悪魔で。

「…リリア達の子供だよ、リリアがお母さんでね、エグゼリアルがお父さんなの。」
彼女の声が、弱々しく震えた。朝日に、頬を伝う涙が輝く。
どうして泣くの、私達に、可愛い子供が出来るんでしょう?
「きっと幸せにしてあげて…、リリアは、一緒に居てあげられないわ…。」

膝から崩れるリリアを、ただ上から見下げていた。
声を上げて、顔を覆って泣くリリアは、触れたら壊れてしまいそうで、なにも出来なかった。
ああ、でも、ダメだ。これが最後なら、これが最後なら、このまま何も出来ないのは、一番ダメなことだ。
私が掛けられる言葉はなんだ。リリア、君の完全な神になる為に私は、何と言えばいいんだ。

「リリア…」

「…星を、此処に降らせようか。今夜、此処に天使と悪魔の魂を、降らせようか。」

リリアの細い指が、顔から離れる。見上げる瞳が、私の瞳と重なった。
いつも眩しかったエメラルドの瞳。私の瞳も、いつかは君のように輝くだろうか。

朝日が昇る。気付かないうちに、彼女があと何千回見られると、そう言っていたこの太陽も、もうこれが最後になってしまった。
最後の始まりが、日の光とともに現れて。

その光が、永遠に忘れることのない最後の夜までを数えた。

ゴースト×ゴースト小説、奇跡のドール Ⅷ

リリアはあの後から、少しずつ笑顔に影が見えるようになった。
死という概念の存在に気付き、そして別れの恐怖を知った彼女が可笑しくなっていくのを何処かで感じた。
確かに、元気にしてくれてはいた。私に心配を掛けたくなかったのかもしれないし、自分の感情を誤魔化す為かもしれないけれど。
こういう時、私は何が出来るだろう。

永い時だった。確かに彼女と過ごす時間はどんな人間と過ごすより永かったのだ。
そして、きっとこれからも永く続く。そう信じている。




ベリーは無事に運命の相手と結ばれ幸せに暮らし、何れ子供も生まれた。
それを聞いたときは私もリリアもたいへん喜んで、二人で見に行った。そして新しい命をただ見つめて笑っていた。
リリアも、幸せに生きるのよ、と。たくさん笑って生きるのよ、と。

私はそれを黙って見ていることしかできなかった。
ああ、どうしてかと、何故こんな気持ちになるのだろうと。私には出来ないと思ったのか。
これから命を失うことを知った彼女の、気持ちに触れることなど…。

ベリーに元気ないね、なんて心配を掛けてしまったから、相変わらず「何でもないよ」なんて笑って。
それを見てリリアも同じように笑って、「さっき躓いたからでしょ」とか、長いことぼーっとしている私のミスを指摘した。
なのに、折角しっかり話すならベリーの居ないところでなければなぁ、と甘えて。
いつもの通り「あれは恥ずかしかった〜」とかふざけたことを言った。

私はこれでいいんだ。リリアが私に真実を知られぬままに世界から去ることを望むなら、これ以上詮索する気もない。
私が彼女の一生に触れてしまったことだって、私の我儘だったのだから。
だから、私がリリアに強要出来ることなんて何もないし、してあげられることだって…。

そんなことを考えると、また暗い顔になってしまうから、何とかいつも通りに笑った。

私は知っている。リリアもベリーも、この街の人々も、世界中の人間も、私を置いて死んでいくことを。
…だったら何、という話でもないけれど。


あの後、私達は来る時と同じ道を引き返した。
沈む太陽はオレンジ色に輝いて、その内に世界に闇を連れてくる。
リリアに掛ける言葉が見当たらずに、その夕日を見てばかり居たら、隣を歩いていたリリアが急に足を止めた。
彼女の顔は太陽の色に染まっていて、それもまた言葉を失う程に美しい。

「ねえエグゼリアル、リリアは後…何回この夕日を見られるかな」
そんな悲しいことを言わないで。そう言うか、どうかな、と笑うのがいいのか分からなかった。
迷っている内にリリアの話は進む。唄うように、慈しむように。
「きっとまだまだある。何千日もあるよ。リリアはそう思うの。」
瞳を閉じると長い睫毛がよく見える。
そして大きく手を広げた。世界を優しく包むような、そんな笑顔で。

「リリア、生まれてよかった。この世界はとっても綺麗なの。エグゼリアルが居るこの世界は、美しいの。生まれて来たから生きるのよ、生きるから死ぬのね。この世界はそうやって廻るんだわ。花も海も空も生も、みんなそうなんだね。」
ああ、なんて声で言うんだ。そんなことを歌うんだ。
私は目の奥が途端に熱くなるのを感じながら、エメラルドの瞳が開かれるのを黙って見つめていた。

「…でも、リリアの最期の時に、お願いがあるの。」

夕日に向かっていた顔が此方を向いて、私を射抜く。
君がそんなに見ていては、泣くことも出来ないじゃない。

「今は内緒だよ。リリア、まだ我儘言わないの。」

真剣な彼女の眼差しに、何度も心臓が脈打つのを感じた。
きっと何でも叶えるだろう。私はダメな神様だから、リリアの願いならどんなことでも叶えるだろう。

だから私は笑って応えるんだ。

「貴女が望むなら、私はその時まで待ちましょう。」

君が望むなら、世界を壊す約束をしたって、君が神になる約束したっていい。
私は常に君が望む理想を叶えよう。君の為の奇跡でいよう。
それが願いで真実で。その真実が綺麗なものかも分からない。

君は私をダメにする。私は君に全てを捧げてしまいそうだよ。

「良かった。」
リリアがそう、いつものように笑ってくれるのが嬉しくて、何もかも嫌なことを忘れたような気分になった。
じゃあ帰ろう、と、腕を引かれることを当たり前だと思うことが、どれだけ危険なことかなんて分かっていても。

私達に子供は生まれない。私達に共に歩む選択肢はない。
ただ、その運命を望んだのも自分達で、その世界を許したのも自分達だった。

なら、後悔も意味のないこと。ただ歩こう。全てが終わるその前に、私達が出来る全てをしよう。
君が終わるまでに、私は君に最高の幸せを作ってあげなければいけない。

だから、だから、どうか終わりまで君は立ち止まらないで、笑っていてはくれないか。

夕日は沈んで、夜の闇と輝く星を連れてきた。

ゴースト×ゴースト小説、奇跡のドール Ⅶ

部屋の中には、綺麗に彩られた本が数多く置かれていた。
カラフルな目に悪そうな色の表紙から、思わず眠たくなってしまいそうな優しい配色のものまである。
それ故全てがベリーの旦那さんが描いたものではないのだと、すぐに分かった。
これだけ上手く描ければ絵というのも楽しいのだろうなぁ、とぼんやり思いながら自分の描いた絵と重ねてしまって、少しの劣等感に襲われた。

そんな私を他所に、リリアは部屋中歩き回って次々絵本を手に取っていた。
彼女の様々な姿を目にする度に可愛いなぁなんて浮かれてしまうのは良くないことなのだろうか。
でも、神様なんて、そんなものか。

「あんまり多くはあげられないんだけど、一冊や二冊なら貰って行って」
ベリーがそう言うと、リリアは嬉しい〜、なんて遠慮の欠片もなく言った。
でもベリーも嫌そうな顔しないしいいか。

さて、私は何をしよう。
絵本…別に興味がない訳ではないけど、興味があるかと言ったらそうでもないというくらいで。
子供が好んで読むものということで、あんまり真面目になって読むとまたベリーに何か言われそうだ。
リリアは確かに子供ではないかもしれないが女の子というのはどうにも得で、基本的に何をしても可愛いの一言で済まされるのだ。
だか私はそう言うわけにもいかない。

あー…どうしようか…。

私が腕を組んで悩んでいると、聞き慣れた声に呼ばれて振り返った。
「エグゼリアルー!来て来て!」
私を呼んだのはリリアだった。その細い手を大きく振っている。
そんなに精一杯にならなくても見えているのに。
「どうしたの?」
そう聞きながら私が近付くと、彼女が手にしていた本を覗き込んだ。

「これは何の話?」
彼女の手に隠れてよく見えなかったので、私はリリアにそう問う。
その直後、リリアは「分かんない」と、そう言った。だから私が「見せて」と頼むと、表紙を此方に向けて見せてくれる。
「…天使と悪魔?」
その種族は、私達と同じように存在するかも怪しい生き物だった。
天界に住むとか地獄に住むとか、そんな不確かな情報の中でしか生きていない動物だ。
リリアがその絵本を開いて読み始めたので、私も隣からそれを覗き見ることにした。

絵本と言うだけあって丁寧に、そして綺麗に世界が描かれていて少し感心してしまう。
その世界だけの命。この天界も悪魔も、この中でしか生きていないのに。

どうやら二人は親密な関係で、種族という壁に悩まされているようだった。
絵本の割には少し難解な心の葛藤と、台詞の繊細さがある作品だ。
読み進める内に二人は数々の災難に見舞われて、それでも共に歩もうとする。

…しかしそれも数ページで終わった。

絵本は全てハッピーエンド、なんて自分で決め付けていたものだから少し驚いた。
これは完全にバッドエンドだなぁ、なんて少し暗い気分になりながらリリアに視線を向けると、案の定泣いている。
あまりに優しすぎる。私もこんな慈愛に満ちた存在になれれば…。

「…リリア…、その…他の、読む?」
閉じた絵本に溢れる涙が、裏表紙のイラストに彩られている。
私は困ってしまったが、その内にベリーもリリアに声を掛けた。
「その話…ちょっと暗いよね。リリアさん、楽しい絵本もあるよ?」
ベリーは優しくリリアに声を掛ける。
それでも尚、暫く裏表紙を見つめながら泣いていたリリアは、その内に小さく横に首を振った。
それには私も少し驚いてしまう。

「…いいの。リリア、この絵本貰ってもいい…?」
控えめに聞いたリリアの声は、未だに少し震えている様子だった。
しかしベリーは驚いた後にニッコリと笑って「勿論」と応えていた。

「ありがとう、ベリー」
ようやく笑ったリリアが私の方を見て頷くと、来た時と同じように手を繋いで来る。
「ベリー、リリアまた来るからね。今日はさよならだよ」
「絵本ありがとう、大切にするね」
リリアの片手に大事に抱えられた絵本をちらりと見ながら、私はベリーに礼を言った。

なんだか妙にリリアが焦っているような感じだったから簡潔に挨拶を済ませようと、短い言葉で店を出てきてしまう。
「どうかしたの、リリア?」
帰り道、そう聞いても「何にもないの」としか答えないので、少し心配だったけど、無理矢理聞き出すのも気が引けたので、そう、とだけ返して会話を終える。

その後は半ば私が引き摺られるように、リリアの住む家まで帰った。


家に入ると、リリアはさっさと作業部屋の椅子に座って絵本を読み始めたのだ。
今までにないような真剣な表情で絵本を見つめるので、一体何を考えているのだろう、なんて思ってしまう。

帰ろうか、どうしようかと悩んでいると彼女から声が飛んだ。
「ねえエグゼリアル」
「なんだい」
「…この天使と悪魔は、寂しかったと思う?」
絵本を開いて、同じページを見つめたまま、リリアはそう私に尋ねた。

ああ…、私達にも、あの天使と悪魔のように、別れが存在するのか。
「…きっと凄く寂しかったよ、もう会うことも許されないんだから」
私達が、いや、リリアが、この世から失われる日は必ず来る。私達は、種族が違う。
彼女との永遠は、無いんだ……。

そう思うと、急に悲しくなってしまって、いけないなぁ、と思った。

「…そうだよね」
ぽつりと、そんな音がしたかのように、リリアの言葉は響いた。
リリアは、今日目を見て話をしない。前は、それが何故分からなかったけど、今ははっきりと分かる。
私でさえ、今はリリアに掛ける言葉が全く出て来なくて、少し焦ってしまう。

でも、そんな中、口を動かしたのはリリアだった。
「…ベリーには赤ちゃんが出来るの?」
唐突に話が変わったものだから、つい、間を作ってしまったが、私は冷静になって、答えを探した。
「…そうだね。」
簡単なことしか言えなくて、私もダメになってるなんて感じながらリリアの反応を伺う。
そうなんだ、と、短く言ったリリアの表情がよく見えなくて、一体何の為の質問だったのかもよく分からなかったのだけど。

しかし直後、彼女は振り返って元気そうに笑ったのだ。
いつもと同じ、綺麗な顔で、私を見て。
「ねえねえ、今日も一緒に居てくれる?」
嬉しそうな、もう決められているような顔をされて、私は断れる筈もなく、いいよ、と言った。
リリアはありがとう、と感謝の言葉を言って立ち上がると、私の手を取った。

「リリア達はこうしてるだけで幸せだよね」

白く透き通るような、余りにも儚く小さな手が私を包む。
ああ、彼女は何故、私に恋をしたのだろう。

それを運命だと、そう言ってしまえば軽いものだ。
しかし、私と、私に関わるもの達は一言にそうは言えない。
奇跡は存在する。この子が、私に恋をする奇跡も。

「……もしも、私と結婚出来るなら、君は私を選んだ?」

馬鹿な質問だと思った。彼女がその選択をするのに、どれだけ時間を掛けるか、分かっているのに。
しかしリリアは、迷わなかった。

「エグゼリアルがいいなら、リリアはエグゼリアルを選ぶよ。だって苦しむのはリリアじゃない。エグゼリアルが今のリリアと同じくらいリリアのことが好きなら…苦しむのはエグゼリアルだから。」

彼女は私を見なかった。長い睫毛が下を向いて動かない。
…私も、リリアが言ったことには当然気付いていたわけだけど。

勿論、彼女と同じ存在だったとしても、私が彼女より先に死ぬような馬鹿なことはしない。
彼女を最期まで見ていてあげたいから。リリアは寂しがり屋だから。
…でもね、そうは言えど、本当に彼女を失ったとき、私が平気かどうかなんて分からないんだ。

大切な物を失うなんてことに、余りにも経験がなくて。

「…そうか。」

私は君を選ぶよ、と、言葉は口から出て来なかった。
ここで言う言葉が、私たちより先に居なくなる彼女にどう響くか分からなかったからだ。

時とは、如何に残酷なものだろう。

…部屋の静寂が私たちを白く包んだ。